広報力のある学校へ
見えづらい「本当の」広報
我々はこれまでいくつかの学校に対して広報のアドバイスを行ってきました。その際にどの学校でも最初に必ず起こるのが「認識のズレ」があります。そのズレは我々と学校の先生方との最初の顔合わせ、名刺交換の段階ですぐにあらわになります。
我々のカウンターパートとして打ち合わせに出てくる先生の肩書きが「広報部長」であれば、これこそが大きなズレなのです。我々が広報戦略の打ち合わせでカウンターパートとして求めるのは広報部長ではなく、学校行事の責任者(学年主任)なのですから。
学校の広報というと一般的には
■ 学校説明会
■ 塾対象説明会
■ 近隣中学校(高校の場合)への挨拶回り
■ 近隣有力塾への挨拶回り
■ ウェブサイトの作成
■ 業界紙への広告出稿
などが思い浮かぶことでしょう。もちろんこれらの活動は重要ですし、全て意味があるものです。しかし、ここでは最も重要なファクターが抜け落ちています。
それは「口コミ」です。
口コミはそれぞれ
■ 生徒同士
■ 保護者同士
■ 地元の様々なコミュニティ
の中で発生します。生徒達は学校や塾で、保護者は中学校(小学校)の集まりや部活動の集まりで「あの学校はいい」「この学校はだめ」と情報を交換します。さらに、保護者でも生徒でもない第三者の大人達も様々な場所で学校の評判を語ります。
大学と異なり、通ってくる生徒の家が近隣に限定される中学・高校においては、マスを対象にした広報よりもピンポイントのいわゆる「地元の声」が非常に強い影響を与える傾向にあります。
「○○さんちの息子さんは△△高校に通ってるんだけど、あそこあんまり良くないってお母さん言っていたらしいわよ〜」という言葉ほど強い影響力を持つ広報はありません。これらの“当事者からの情報”はママ友を通じて広がり、ママから子へと伝播し、とかなりの勢いで近隣地域に広がっていきます。そして、その情報がマイナスであり、かつ長く続く場合、学校とは直接関係ない大人達までもマイナスのイメージを持つことになります。根拠のない、「あの学校はよくない」が定着した場合、これをひっくり返すにはかなりの労力が必要になるでしょう。
本当に広報すべき相手
上述したような“ウワサ”の源はどこにあるでしょうか。これはすぐに分かります。在校生とその保護者の体験です。学校生活を通じて在校生が感じたこと、そして、学校の様々なイベントを通じて保護者が感じたこと。これが源です。つまり、何百人、あるいは何千人という自校の生徒達と保護者は、顧客であると同時に最強の営業マンなのです。
彼ら彼女らが学校のことを「よい」と言えば、その評判は一気に広がっていきます。このプラスの口コミもマイナスのものと同様非常に強く、一度安定してしまえば大学入試の実績が多少悪かろうが何らかの不祥事が起ころうがびくともしません。むしろ、「あの学校は大学入試だけに一喜一憂するようなガリ勉進学校ではない」「不祥事はあったかも知れないけど、それはほんの一部。全体としては素晴らしい」と悪評を押さえ込むような働きをしてくれるでしょう。
生徒・保護者に営業の道具を渡す
では、生徒や保護者に最強の営業マンになってもらうためにはどうすればいいでしょう。いうまでもなく“良い教育を行う”ことです。そう伝えると学校の先生方は少しムッとした表情でこう言います。
「現場の教員は頑張ってますよ。自分たちはできる限り最高の教育をしているつもりです。でも、生徒や保護者は文句ばかり…」
しかし、そんなのは当たり前のことです。
例えば車を買ったときのことを考えてみてください。私たちはある車を買う際、その車に関する様々な広告を見せられます。ドアが開けやすい、エンジンが力強い、安全装備がしっかりしている、など、カタログや雑誌に山のように良いところが載っています。さらに営業マンがフェイストゥフェイスでたたみかけてくるのです。「この車はエンジンが凄いんです。他者の同価格帯のものに比べて馬力が30%〜〜〜」と。
では、このような情報が全くないままに車を買ったとき、その車の良いところを自覚できますか? おそらく不可能でしょう。エンジンの凄さもドアの開けやすさも安全装備も「まぁこんなものなのかな」で終わりです。元々車に詳しい人でなければそもそもどこに着目すべきなのかも分からないはずです。その状態で他の人から「新車はどう?」と聞かれたら? よくて「まぁ普通」。少しでも気に入らないところがあれば「そういえばなんか異音がするんだよね」とか「なんか狭い感じがする」と軽く一言。そしてそれは口コミとして広がっていきます。
つまり、学校が良いと信じる教育活動を精一杯行うことは絶対に必要ではありますが、それで十分ではないのです。生徒や保護者に「この学校はここが凄い」というポイント、言い換えれば口コミで広げてもらうための“ネタ”を提供してやらなければなりません。営業のネタを用意してもらえなければどんな凄腕の営業マンもその力を発揮することはできないのですから。
では、そのネタはどこで提供すればよいでしょう。それは「ホームルーム内での担任の話」「授業内での教科担当教員の話」「保護者会」です。つまり、これらの場においてどのような話をし、どのようなネタを提供するかを決めるのが我々が考える広報戦略の第一なのです。
古き良き、奥ゆかしき学校
我々は民間の塾を母体としていますので、宣伝の巧拙は組織の運営を左右する非常に重要なポイントであることを痛感しています。しかし、学校はどうもそうではないようです。
「教育の効果は忘れた頃に現れるもの」
「自分たちの功績を触れ回るなんて教育者ではない」
先生方にはどこかそのような意識があるようです。
我々が広報アドバイスを行ったある高校では、ちょうどその年の受験で非常にレベルの高い大学への合格者が複数出たところでした。しかも話を聞いてみれば先生方の濃密な指導とそれを受けて奮起する生徒という理想的な合格ストーリーがあります。我々としては、これは絶好の機会と考えました。さぞかし手を変え品を変え内外にアピールすることだろう、と。しかし、実際には保護者会でもホームルームでもまず触れません。もちろん「○○大学に合格者が出た」とは言いますが、一言でおしまいです。結果として、在学生でもその情報を知っている生徒は半分に満たない程度に止まりました。なぜもっと発信しないのかと先生方に聞いたところ返ってきたのは
「大学実績を出すことが真の教育ではない。あくまで結果の一つ」とのこと。
愕然としました。先生方は「○○大学何名、△△大学何名」と叫ぶことが広報だと思っていて、それに反発を覚えていたのです。
我々が言う広報は、大学に何名受かったか、その人数を連呼することでは全くありません。合格に至る素晴らしいプロセスを“ウワサになりやすいストーリー”に仕立てて話していくことなのです。詳細は書きませんが、それを聞いて我々は慌ててストーリーの台本を書きました。面白いエピソード、インパクトのあるエピソードをしっかり用意して、その台本を話してくれるよう先生方に頼みました。結果、この高校は凄い受験指導をしてくれるらしいというウワサが近隣地域に広がりを見せるようになり、その学校とは違う学校に子供を通わせている保護者からもその学校の評判を聞けるようになったのです。
外部説明会の魅せ方
我々の母体は塾です。そのため、学校説明会や塾対象説明会にはお客さんの立場として毎年何十校も参加しています。その経験から考えても、学校の説明会は総じて「おみやげをくれない」印象があります。
もちろんおみやげとはボールペンやお菓子のような物品ではありません。我々(塾関係者や保護者)が欲しいのは、「この学校はこういうところだったよ」と生徒に語れるような“話の種”なのです。
正直なところ、学校の理念やカリキュラム、指導方法などについては、どこの学校もあまり印象に残りません。その印象の薄さは、我々が塾関係者で数多くの学校を回っていることが原因というわけでもなさそうです。というのも、保護者の方からも同じ声をよく聞くからです。「どこもおんなじような説明で違いがよく分かりません。先生のおすすめはどこですか?」という問いかけは毎年のことです。
理念やカリキュラムなどが印象に残らない一方で、ちょっとした指導の具体的なエピソードや校舎案内担当の先生がポロッと漏らす小話は強く印象に残ります。例えば、案内の先生と校舎を回っているときに、すれ違う生徒すれ違う生徒と必ず何気ない会話(あいさつだけではなく、お互いが知り合いであることがハッキリ分かるような)をしていたある学校は、その年塾内での人気が大きく上がりました。理由はその学校の指導方針やシステムではありません。その学校の方針やシステムは毎年判を押したように同じ話で、塾内では「工夫がない」と評判が良くないのです。不思議に思い保護者達に聞いてみると、案内の先生のエピソードがウワサとなって広まったからというのが真相のようでした。
対外説明会のクオリティ向上というと、どうしても会の中で行われる話の内容(わかりやすさ、深さ)がテーマとなります。しかし、受け手は実はそこを見てはいないのです。このような視点は他にも多々ありますが、これらは全て我々がリアルな客の立場で学校を見てきたからこそのアドバイスといえるでしょう。