組織力のある学校へ – 株式会社ARCS
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ARCSの活動

組織力のある学校へ

前項の「受験指導ができる学校へ」で示したとおり、実効力のある学力指導に必要なのは最適な組織です。

学力指導に適切な組織とは

学力を重視した指導を行う際には、学内の様々なシステムを目的に合うように作り替える、あるいは重要度を変化させる必要があります。

学力指導よりも生活指導が重視される学校においては、一般的に「学年」の重要度が高い傾向があります。様々な行事を大過なく運営すること、生徒の進級に関わる決定を行うことがメインの業務になる場合が多いため、その用途では学年のまとまりが目的にフィットしていると言えます。

一方で、学力指導に重点を置いた場合、教科や、もし設定されているのであれば三学年にまたがるコース(進学コース、特進コースなど)のまとまりが重要となります。

進学校化が停滞している中堅校の内情を見ると、コースと教科のまとまりは存在しても有名無実化しており、全てが学年ベースで決定されていることが多いのですが、大学入試を一つのゴールとした学力指導の場合、高校三年間のスケールでいつ何をするべきかが大切なのです。

また、教科に関しては、この時期はこの教科に注力しこちらは抑える、など生徒の持つリソースをどう配分するかがポイントになります。

組織の問題

コースのまとまり

大学入試に向けた受験指導においては、高1から高3まで、3年間を通してと継続的にやらなければならないことが厳然と存在します。それらをコースとして伝え実行させるための様々なイベントを計画実行します。さらに各長期休みに行う講習も学年単位ではなくコース単位で作成し実行する必要があります。

教科のまとまり

教科会を構成し、各教科の主任が内容のある話し合いの場を持つことも重要です。受験をゴールとした学力指導においては、ある時期にどの教科をどれだけやるかのバランス設定と調整が非常に重要になります。この配分を無視して各教科がバラバラに指示を出した場合、生徒にかかる負荷は確実に限界を超え、オーバーヒートしてしまうでしょう。また、教科ごとに指導方針を明確にし、教材その他をその方針に沿って揃える必要もあります。これは一見当たり前に思えますが、実際には、一応方針は決まっていても先生方が無視して自分の好きなように授業をやっているケースは非常に多く、統制の取れた塾や予備校との大きな違いとなります。

役職の構成と権限

どこの学校にも進路関係の部署や責任者が必ず存在します。問題は、そこに「権限」があるかどうかです。受験まで含めた学力指導全体の責任者(受験のスペシャリストであることが望ましい)がいて、その役職者が全体方針を定め、「実行させる」必要があります。教員は平等性が比較的強い職種ですから、この「全体方針を実行させる」部分が徹底できない場合は多くありますが、実際に成果を上げている新興の進学校のほとんどは他校に比してここが優れていることからも、学校改革の肝であることが分かります。

この全体の責任者の下で各教科の責任者とコースの責任者がその時々に応じて指導のアクセルを踏んだり緩めたりしながら運営を行う必要があります。全体責任者・コース責任者・各教科責任者の会議機関を管理職がとことんバックアップし、権限を与えることが大切です。

役職の構成と権限

プレイヤーの問題

方向性の統一

実際に生徒達に対して授業や受験指導を行うのは先生方です。この先生方の「足並みをそろえる」ことも非常に重要になります。生徒達は先生方一人一人の向いている方向を敏感に感じ取ります。ある先生と他の先生の言っていることが異なる場合、無意識にその組織(学校)全体に不安を感じるのです。授業内の一言もそうですが、ホームルームでする話の内容についてはある程度統一的な指示をする必要があります。

非常勤職員の管理

非常勤職員の管理は多くの学校において悩ましい問題になっているようです。実際に時折報じられる不祥事もその少なくない数が非常勤職員によって引き起こされたものであることからもそれは分かります。非常勤職員は学校側から見れば「アルバイト」に似た部分があるかもしれませんが、生徒や保護者にとっては学校の先生であることには変わりありません。さらに、彼ら彼女らの中には特に学力指導において非常に素晴らしい能力を持った人もいます。その力をうまく吸い上げ、学校に貢献してもらうことが必要です。

そのためにはまず、生徒の成績やテストなどのミクロな情報だけではなく、学校の方針や目指すところなどマクロな情報を伝えていかなければなりません。その上で、一人一人の非常勤の先生方がそこに加わっていく「大きな物語」を提示するべきでしょう。

実際の事例から

コースと教科の力が弱いとどうなるか

ここでも実例を挙げてみましょう。ある高校は上述の通り学年の重要度がとても高く、教科とコースの存在感が薄い状況にありました。コースの弱さは「独自の試み」の薄さに繋がります。

学年単位の行事が中心になり、特進コースの生徒たちが普通コースや体育系コースと同じものを行わなければなりませんから、就職や専門学校など進路が決まっている生徒達に交じって入試直前期の三年生が文化祭などの大きなイベントの主役とならざるを得ません。我々が校内に入り聞き取りをした際、生徒達から最初に出たのは「行事があるから勉強する時間がない」というものでした。その後に続くのは「受験をバックアップするって先生達は言うけど、実際邪魔ばかりされている」というもの。強烈な言葉です。このような情報を管理職の先生方に伝えると、そのような声は何となく知ってはいたものの、問題の重要さに対する認識は欠けていた様子。生徒達はよくも悪くも学校に対して批判的なことを言う場合がありますが、それが妥当なものである場合、情報は凄まじい速さで周辺地域に口コミで広がっていきます。そのことを説明し、すぐに来年度の行事予定見直しに入りました。

また、統一した教科指導方針の形骸化や講習の形骸化も問題に上がりました。指導方針の点でいえば、例えば数学において、問題量を積み上げる経験型で行くのか原理から演繹させる形で行くのかも先生によってバラバラなので、ひどいときには生徒達は一日おきに真逆の方針で指導されることもありました。長期休みに行われる講習は内容のクオリティに凄まじい開きがあり、ある授業ではよく研究された講義が行われている一方で、他の授業ではひたすらプリントを解かせて先生は答えを読み上げるだけの場合もありました。これが授業選択制であれば問題ありません。クオリティの低い授業は受講者がいなくなるだけです。問題は「全員強制参加」であるところ。

進学塾の立場からすると信じられないような問題が大量に浮かび上がりましたが、これらは全て「中心的存在」の不在から生じるものであることが分かります。個々の先生方は全体像が見えない(そもそも存在しない)ので、個人の見える範囲でよかれと思うことを行います。しかし、その一つ一つが他とバッティングしメチャクチャな状態を生み出していたのです。そこで学力指導の中心的存在をしっかり定め、その人に権限を渡してみると、1,2年のうちに問題の多くが解消され、劇的な変化が起こりました。