新世代の学校像 – 株式会社ARCS
  1. HOME
  2. 新世代の学校
  3. 新世代の学校像

新世代の学校

新世代の学校像

新世代の学校像

● 海外の大学への進学
● 高校に行かない学び方

この二つのオルタナティブは不可逆的に今後も勢いを増していくことでしょう。なぜなら、これらは日本国内の小さなムーブメントではなく、世界規模の社会変革を受けて日本社会が変容を余儀なくされた結果として出てくる流れだからです。

大学入試改革の影響

このオルタナティブに加えてもう一つやっかいなファクターがあります。それは大学入試改革です。英語科目の外部検定利用と共通テストの記述式導入という二本の柱がどちらも延期され、その勢いは弱まっていると見られていますが、大勢として元に戻ることはまずないでしょう。それもそのはず、今回の大学入試改革は、改革を「したい」から始まったものではなく、「せざるをえない」から始まったものだからです。

現状の大学入試制度(と大学制度)では今の社会で必要とされる独創性・リーダーシップ・思考の多様性・行動力を持った人材を育てることが出来ないため、システム自体を改革する必要があったわけです。改革をしなければそれらの人材を得られないわけですから、どんな軋轢が起ころうとも最終的には行わざるをえません。

この大学入試改革の核心は、知識量を問うこれまでの画一的な選抜方式を改め、試験では問えない、つまり、数値化できない生徒の個性までを考慮した方式にすることです。これは一般入試のプレゼンス低下とAO・推薦入試の拡大により進められ、最終的には現在「サブ」の入試であるAO・推薦入試を「メイン」に据えるところに落ち着きます。

最低限の学力を測る統一試験と、学校と生徒の相性を見る選抜。この方式は一言で言ってしまえば現在のアメリカの大学入試と非常に近いものです。

教職員の過負荷

今後の大学入試の帰結するところがアメリカ型であるとすれば、これから高校や中学に求められる機能もおぼろげながら見えてくることでしょう。

これまで日本の学校は生徒の「すべて」を面倒見る機関でした。友人関係もスポーツも道徳も、すべて学校が責任を負います。

塾の立場からすると、学校の授業のクオリティはあまり高いものではありません。授業準備も甘く発問や課題の練りも十分ではなくレベル設定も曖昧です。結果として生徒達は学校の授業の愚痴を塾でこぼすわけです。しかし、学校側からすればそれも仕方が無いことでしょう。教職員の仕事のうち授業のような勉強に関わるものはそのほんの一部にしか過ぎないのですから。教職員のエネルギーの大半は部活動であったり生徒指導であったり、あるいは煩雑な書類作成であったりと別の部分に割かれ、余った時間でルーティンワークとして授業をこなしているというのが実態です。

生徒の生活の全体を面倒見るというのは教育の究極のあり方の一つかもしれません。しかし、現在それを実行するには人手も足りなければ社会的威信も足りません。このようなシステムは生徒の数が少なく、質の良い教職員が多く、かつ教職員の社会的地位が高い状態、つまり戦前の社会においてはうまくいきますが、21世紀においては完全に過負荷であるといえるでしょう。

このように余裕のない教員が生徒達の個性をしっかり見抜き適切な評定を下せるでしょうか。下せないにもかかわらずアメリカ型の試験制度を実施した場合結果は破滅的なものになってしまいます。

学校のモジュール化

将来帰結するであろうアメリカ型入試に適応するためには、これまでのあれもこれもと学校に詰め込まれた様々な機能を切り離し、モジュール化していく必要があります。部活動の外部委託など一部の学校が検討を始めていますが、それ以外の部分においても切り離していかなければならないところがあります。

例えば大学入試に向けた受験指導。近年の大学入試は特に私立大学において商業的要素が色濃く、生徒が受験してくれるようにあの手この手で「受けやすさ」を演出します。さながら高級車を買いやすいよう残価設定ローンを用意したり個人向けリースを用意したり、と工夫しているかのようです。結果として試験科目や日程は凄まじく多様になり、それに合わせて対策も多様になります。既存の予備校や塾でも大量の人員を入試専門に抱えて何とかこなしている状況ですので、正直なところ、他の仕事を大量に抱える教職員がこれを行うのは無理があります。

では、これまでのように受験については塾任せで良いのかといえばそれも違います。既存の塾は学校とは全く関係の無い別個の存在ですから、それぞれに教育方針も違いますし情報の共有もなされていません。これまでの塾任せは一見モジュール化に似ていますが、その実は「切り捨て」であり「責任逃れ」でもあります。これは部活動も同様です。部活動を止め外部のクラブに行かせるだけであれば、それはモジュール化ではありません。

「切り捨て」でよいではないか。そう思われるかも知れませんが、それは違います。受験勉強や部活において発揮される生徒の個性や行動力についてもしっかり把握しない限り、生徒の正確な評定は行えないからです。

真のモジュール化とは、あくまで学校が中心となり、部活動や受験指導などの専門的営みを行うグループを周辺に持ちながら情報を共有し、一つの有機的な共同体を作ることです。

これまで
これから
これまで これから