危機管理能力のある学校へ
問題は必ず起こるもの
数百人から千人以上の生徒達が生活する組織において、問題が一つも起こらないということはあり得ません。小さい問題は当然のこと、醜聞としてニュースに取り上げられるような大きな問題も必ず起こります。いじめや暴力といった生徒の問題から、男女の風紀の乱れ、横領、パワハラセクハラなど教員の問題まで、ほぼ全ての学校が何らかの問題を抱えています。報道されるのはそのほんの一部に過ぎません。そして、報道されるかされないかもまた偶然に左右される要素が大きいでしょう。“たまたま”被害生徒の保護者がことを荒立てるタイプだったからかもしれませんし、“たまたま”情報をリークするような関係者がいたのかもしれません。
つまり、問題が起こり全国的に報道され批難を浴びている学校Aと、特に何もなく平穏に動いている学校Bは、その二者の間に何か差があったわけではなく、問題が明るみに出て批難されたのが“偶然”Aだっただけなのです。
■ 問題の発生
■ 問題の情報流出
この二つを予防しようとする試みはもちろん重要ではありますが、完全に根絶することは不可能です。
学校が出来ることはなにか
問題の発生と情報流出を完全に防ぐことができないのであれば、学校が努力できることは何があるでしょうか。
それはシンプルに「起こった後、流出した後の対処」に尽きます。
学校の醜聞に敏感に反応するのは入学を考える中学生(小学生)ではなく、その保護者達です。しかし、保護者もまた社会人であり、それぞれ社会生活を営んでいる以上、問題の発生を防ぎきるのは不可能であることを理解しています。では、彼ら彼女らがどこを見ているのかといえば、それは明らかに「その後どうしたか」の部分なのです。
情報の集約
生徒にせよ教職員にせよ、問題が起こった際、その全容が管理職に正確に伝わっていることは非常に重要です。しかし、多くの学校では発生した問題をそのカテゴリにかかわらず一手に扱う機関が存在しないため、時々の担当者によって情報伝達の品質が左右される傾向にあります。ひどい場合には、どこに話を持っていっていいか分からない担当者が一人で抱え込んでしまい、管理職に伝わる前に問題が悪化してしまいます。このような状態を防ぐためには、どんな内容であれ、問題が起きた場合には必ずそこが中心になるような機関(危機管理委員会)を設置しておくのが望ましいでしょう。
情報公開
問題が起こった場合、その情報を一部公開し一部伏せておくことが多いようですが、これは実は危険です。伏せた事実の埋め合わせをするために新たなストーリーを作らざるをえませんが、そこからつじつまが合わなくなり、問題の火に油を注ぐ結果になってしまいます。もちろん状況にもよりますが、最大限情報公開をしてしまった方が実は有利になることの方が多いのです。
ピンチをチャンスに
情報公開を最大限行った方がよい理由はこの「ピンチをチャンスに」にあります。上に問題発生後にどう対応したかが重要、と書きましたが、この対応が良かったか悪かったかを決めるのは「本当のことを全部公開している(ように見せられるか)」かどうかにかかっています。ですから、他者に全部公開しているように見せられる(装える)のであれば、情報の一部を伏せておくことも構いません。しかし、実際のところそれは非常に高度な技量を必要とするため、うまく行かないことの方が多いでしょう。
一方で、全部真実を公開した場合、ある種の開き直りとともに「ここまで事実を明かして膿を出し切る覚悟が自分たちにはある。サポートして欲しい」と相手に助力を請うことができます。この場合、助力を求める相手は在校生とその保護者になります。彼らが学校の誠意を感じ取った場合、(学校が実質何も手を打っていないうちから)強力な擁護をしてくれることでしょう。
実際にある学校のイジメ問題が明るみになったとき、事実を素早く積極的に公開するよう我々はアドバイスしました。学校側も覚悟を持って実行してくれた結果、「あそこはちゃんとした学校だ」と、マイナスどころかむしろプラスの評判が近隣地域で出回るようになりました。