受験指導ができる学校へ
“万全の受験指導”と現実の乖離
我々教育研究所ARCSは、40年にわたって千葉県東葛地域で最難関校対象進学塾を運営している関係上、高校に「お客さん」として関わってきた経験を多く持ちます。塾対象学校説明会、生徒・保護者対象学校説明会に毎年大量に参加し、様々な高校の説明を聞いてきました。その中で必ず上がる売り文句が
「万全の受験体制」
「塾に行かせる必要のない指導」
「大手予備校の映像授業が見られる」
「最高の自習環境」
といったものです。大学入試のリアルな世界を全く知らない保護者・生徒はそれを聞いて安心感を持つでしょうし、広報的観点からはそれでかまいません。しかし、我々受験指導のプロの立場でこれらの台詞を聞くと、つい“ツッコミ”を入れたくなってしまいます。
正直なところ、これらの学校の内実は「組織としては」ひどい有様であることがほとんどです。乱発される課外補習、早朝から夜8時9時までの時間的拘束、大量の無意味な課題。一方で、補習は問題を解かせて解説するだけ、長時間拘束される割にはそこでやる内容は指示されず、課題は自身の志望大学と大きくずれたもの。すべてがちぐはぐで、ひたすら生徒のエネルギーを浪費させているだけになっている学校はかなりの数に上ります。
我々の塾に来る生徒たちが講師にする相談の多くは「学校との両立」ですが、これは言葉を換えれば「学校からの無意味な指示や指導をどうやって受け流すか」を意味します。塾の側としてはむやみに学校を批判する訳にはいきませんので、なんとか学校からの指示のよいところを探し、生徒を慰めてお茶を濁すしかありません。
すごい先生はいる
上に「組織としては」ひどい有様、と書きましたが、カッコ書きしたのにはわけがあります。というのも、この状態は組織がひどいだけで、実働する先生方の指導が劣っているわけではないからです。多くの学校には大体数名の「受験のことを分かっている」先生がいて、その先生方の指導は塾の立場から見ても「まとも」です。同じ学校に通っていても、その先生方の指導教科あるいは担任クラスの生徒とそれ以外のクラスの生徒で与えられた環境が天国と地獄というのはよくあることです。
問題は、これらのすごい先生がその能力を個人単位、クラス単位でしか発揮できていないところにあります。
難関大学を狙える生徒の数が一桁程度の学校の場合、受験指導はいわば「抱え込み」によって行うことが可能です。進学指導にやる気を持つ一人の先生が特定少人数の生徒をマンツーマンで見続けて力業で合格させるのです。しかし、学校のレベル上昇に応じて難関校を目指す生徒が増えたとき、「抱え込み」戦略は二つの点で壁にぶつかります。一つ目は人数面でキャパシティオーバー。そして二つ目は「抱え込み」以外のやり方(組織的な指導ノウハウ)を知らないことから来る迷走です。その結果は「とにかく課外授業数を増やす」ことであったり「大量の課題を出す」ことであったりしますが、これまでのマンツーマン指導から生まれる生徒と先生の信頼関係がない上で負荷をかけても生徒はついてきません。また、優秀な生徒の増加による志望校の多様化に対応することも一人では限界があります。結果として、「抱え込み」戦略のノウハウを持った先生が一人悪戦苦闘するも結果は出ず、その先生は徐々に学内で「浮き」はじめることとなります。
受験指導体制は「箱」ではない
多くの学校は創立当初(あるいは創立数十年を経っても)は認知度も低く、志望する生徒たちの学力層はそう高くありません。そして、見逃してはならないのは保護者の層も生徒の学力層と大体一致するということです。これらの生徒・保護者にとって、「補習がある」「自習室がある」「課題(宿題)がある」という物質的な仕掛け(箱)が効果を発揮します。目に見えるものはわかりやすいのです。
しかし、志望する生徒の学力層が徐々に上がるにつれ、これらの物質的な「箱」は実は本質ではないということに多くの生徒・保護者が気づくようになります。「箱」の中に何があるのか。中身にこそ価値があることを知っている生徒・保護者にとって、箱の豪華さをことさら強調する広報は不安しかあおりません。
「受験指導は大丈夫って説明会で言われたけど、入ってみたら何もなかった」
この台詞はいろいろな高校の新入生が入学後半年ほど経った頃からよく聞かれる定番のフレーズです。最初に期待させた分、裏切られたショックは大きく、その後生徒や保護者はいろいろなところで学校の批判をすることになります。
箱の中身はなんなのか
では、「箱の中身」とは一体なんでしょうか。
● やるべきもの(課題)
● やり方
● やるべきとき(時期)
の3点が、膨大な生徒の指導経験を根拠として明確に指示されること。そして、生徒を指導するすべての教員が同じ方針に基づいて同じことを言う体制を指します。
ここで挙げた三点は特に目新しい内容ではありません。誰しもがすぐに思い浮かぶものです。しかし、実行するとなるとこれが非常に難しいものなのです。
我々は実際にある学校でこの「箱」造りを行いましたが、その道のりは苦難の連続でした。ここでは少しその事例を覗いてみましょう。
受験指導体制造りを阻むもの
過去の亡霊
我々がお手伝いした私立高校は長らく地方の中堅校(といえば聞こえは良いでしょうが、実態は下位公立高校に受からない生徒たちの受け皿)として年月を重ねてきました。入学してくる生徒たちは基本的に勉強は好きではなく、生活指導をひっきりなしに必要とするレベルです。
そんな状況を変革するために、学校を進学校として再生するプロジェクトが始まります。特待生制度の拡大や巧みな広報戦略が功を奏し、徐々にではありますが大学入試を受験する生徒が増えてきます。傍目にはいい感じで改革が進んでいるように見えますが、我々が校内に入った時、実は内実はボロボロでした。
その理由は簡単です。先生方が「昔のまま」なのです。高校生なのに中学二年生レベルの授業をせざるを得なかった頃の感覚が強く残り現実の生徒のレベルと一致しません。先生方はいいます。「あいつら(生徒)にはそんな難しいことやっても理解できない」。進学校化が始まってから来た先生方はその状況に違和感を持ち、変革を試みますが上手くいきません。なぜなら、このような発言をする先生方はこれまでの学校の「功労者」なのです。不良生徒たちが跋扈し授業が満足に成立しなかった時代から学校を支えた人々ですから当然でしょう。結果として新参者の先生方の声はことごとく潰され、授業を含む勉強系の指導はレベルが低いままです。
そして、当然の結果として、学力の高い生徒たちはそのような学校の姿勢にそっぽを向くようになります。「学校の授業は意味ないから時間潰してます」。これは校内で一位の生徒が我々に漏らした言葉です。
さらにもう一つ、システムとしてもやっかいなことがあります。学校の様々な制度(分掌や会議、人事)が過去のままなのです。例えば、成績下位層が通う学校で最も大きな力を持つ花形部署は生徒指導部です。学年集会は頭髪や服装など規律面の内容に終始し、職員会議は不祥事を起こした生徒の話題が中心になります。受験や模試、授業のクオリティなどはそもそも話題にすら上がらない状況なのです。
根拠のない指導
一方で改革側の先生方には他の悩みがあります。元々大学入試を受験する生徒など一桁しかいない学校ですから、実績が全くないのです。ここで言う実績とは、大学合格者数といった単純なものではありません。あるレベルの生徒にある指導をしたらある大学に受かりある大学に落ちた、という指導と結果の集合体を指します。
さらに、一般的な塾や予備校、進学校であれば当たり前の様々な知識(受験システム、模試の難度とシステム、参考書のレベルなど)もありません。結果として、学生時代に塾でアルバイトした経験を持つ若手の先生がその時の経験をもとに「それっぽい」ことをするだけです。もちろん若手の先生ですから、校内では力もありません。そして、その力のなさをひっくり返すだけの実績もありません。
このような状況で、一旦上向いた改革も一時停滞を余儀なくされるのです。
実効力のある受験指導体制確立のために
上述した3つの問題、教員の意識の古さ、学校の諸システムの古さ、教員の知識・経験不足を変えることこそが真っ当な受験指導体制の確立には不可欠です。
では、何から手をつければ良いでしょうか。塾講師経験のある教員を新しく採用すれば良いでしょうか。あるいは、先生方を集めて訓示をすれば良いでしょうか。
おそらく無意味でしょう。受験の知識がある先生がいてもその人が力を振るえる環境がなければ宝の持ち腐れです。先生方にいくら学力重視の方針を伝えても、日常生活が変わらなければ意味がありません。
つまり、学校の様々なシステムを再設計していくしかないのです。これまでの生徒指導に効果的だったシステムを、学力指導に効果的なシステムへと変革していく必要があります。
受験指導ができる学校になるためには、そのための組織力がある学校にならなければなりません。