受かる生徒は一言で言うと…

大学受験で特に難関校に受かる生徒達のほとんどは、一言で言うと「大人」です。高校入試と大学入試の最大の違いはここにあると言ってもよいでしょう。

高校入試では、最難関校に受かる生徒であっても精神的には幼い場合がよくあります。塾講師でも悩んでしまうような数学の難問をさらりと解く生徒が家に帰ると生活のすべてを母親に任せている、などというのは珍しくありません。服を脱いだら脱ぎっぱなし、部屋はゴミの山、放っておくと次の日の用意もしっかりできない。こんな愚痴に近い相談を保護者の方から何度も受けてきました。それも、模試偏差値でコンスタントに70を超え、国立高校でA判定が出ているような生徒たちの話です。

あるいは感情の起伏がとても大きく、勉強するときとしないときの落差が激しい生徒も多くいます。これについては「我が娘ながら、何を考えているのかさっぱり分からない、宇宙人のよう」と言っていた保護者もいました。多くの生徒の場合その状況は家庭内だけに止まるものではなく、学校や塾でも程度は違えど同じような傾向を見せています。指示されたことをやらない、ふてくされる、授業を聞かない。にもかかわらず、最難関校に受かります。

大学入試になると上記のようなタイプの生徒が難関校に受かることはほぼなくなります。それもそのはず、高校入試レベルで上記の生徒達が通用したのは、彼らが持っている地力が高校入試で問われる学力を質量ともに上回っていたからに過ぎません。しかし、大学入試になると彼らの地力は通用しなくなります。大学入試は質、量ともに高校入試の比ではなく、無計画に”なんとなく”やっていてはとても追いつかないのです。そこで求められるのは「計画性」と「実行力」。そして、この二つを支えるのは「分析力」です。我々講師はこれらの要素を兼ね備えた生徒をシンプルに”大人な生徒”と呼んでいます。

実際のところ、理解力や記憶力などの勉強に直結する能力が合否に直結することはほとんどありません。現実には不可能ですが、理解力や記憶力を数値化できるとしましょう。例えばAくんは記憶力5、理解力5の「大人」な生徒、Bくんは記憶力10、理解力10の「子供」な生徒。うまくいかない問題にぶつかったとき、大人なAくんは自身の状況を把握して適切な対策を講じることが出来るのに対して、Bくんは自分の能力を超えた課題にぶつかると癇癪を起こして放り投げてしまいます。受かるのは明らかにAくんです。

計画性と実行力

多くの生徒は小学校のときから「計画を立てて勉強しなさい」と指示されていますが、実際にはそれができません。理由はシンプルです。必要性がなかったから。これに尽きます。

小学校、中学校までの勉強は深さや量を考えた場合、その場の思いつきの繰り返しでなんとかなるものです。高校受験であっても、塾の講師や学校の先生が指示した計画を実行していけばクリアすることができます。

「なんとかならない」場合もあったかもしれません。しかし、その場合、周りの大人に「なんとかしてもらって」大事にいたらなかったのならば、やはり計画性は養われません。夏休みの宿題が全く終わっていなくても、大人が手を貸して帳尻を合わせた結果大惨事に至らなかったとしたら、それは生徒にとって「うまくいった」経験ですから、大人が期待する「これに懲りて次からは計画性を持つ」とはならないのです。

そんなわけで、生徒達は大学受験に至るまで「計画」の重要性に気づかないまま成長します。しかし、言葉を換えれば大学入試こそが本当の意味で計画性を身につける絶好の機会です。

実行力は計画性の次に生まれるものです。なんとなくやりたいと思ったことをやるのは実行力ではありません。ここでいう実行力とは「やらなければならない(けれどやりたくない)こと」をやる力を指します。この力は、実行力そのものを養うというよりも、生徒が元々持っている意志の力が発揮されるのを妨げる要因を一つ一つ排除していくことによって作り出されていくものです。

例えば、家に帰るとダラダラしてしまい勉強に手をつけられないという生徒に話を聞いてみると、やらなければという意識はしっかり持っています。にも関わらず動けないのは、動くことを妨げる要因があるから。大体の場合、部屋の机が物置状態になっていて、勉強をしようと思ったらまず机の整理から始めなければならない状況です。ならば勉強の前に机の整理をしなければなりません。しかし、それを実行するのを妨げる要因があります。それは整理行動の複雑さや分類の難しさ。ならばそれらの要因をさらに取り除いてやれば良いのです。大きな箱を用意し、机の上のものを全てそれに放り込んでしまえば机のスペースを確保することができます。このように心理的負荷の少ない行動を積み上げていくことによって最終的に計画の実行につなげていきます。

分析力

「子供」な生徒の多くは感情のコントロールが苦手な傾向にあります。この傾向は物事がうまくいっている時にはイケイケどんどんでプラスに働きますが、一度うまくいかなくなると過度の自信喪失、あるいは他者への責任転嫁に振れてしまいます。どちらも物事がうまくいかない要因を具体的に細分化して追求せず、大雑把にフィーリングで捉えてしまうところに原因があります。

一方で「大人」な生徒はうまくいかないからといって泣いても喚いてもどうにもならないことを知っていますので、なんとか状況を立て直そうと冷静に問題の原因を分析します。当たり前のことですが、どちらの生徒も感情は持っていますし分析力も持っています。にもかかわらず後者は分析力を発揮する一方で前者は感情が分析力を覆い隠してしまうのです。この大きな違いが生じるのは、「子供」な生徒はこれまで泣き喚けばどうにかなっていた(他人がどうにかしてくれた)のに対し、「大人」な生徒はなんとかならなかった(誰も助けてくれなかった)という経験によるものです。

「大人」な生徒を育てるために

物事をしっかり分析し、計画を立てて黙々と実行する。これは紛れもなく大人が仕事をする際の動きです。もちろん実際のビジネスではこのように綺麗に物事を進められることは稀ですが、少なくともこのように進めるのがよいと思われているのは事実です。

では、「大人」な生徒を育てるために何ができるでしょうか。

その答えはとてもシンプルです。計画の立て方、実行の仕方、分析の仕方を本気で教えることです。実際のところ、これらのスキルを学校で教えてもらえることはあまりありません。勉強をしているうちに、あるいは宿題をやっているうちに「自然と身につくもの」だと思われています。もちろん中には無自覚のうちにこれらのスキルを体得している生徒もいますが、大半の生徒は目の前の小さなタスクをこなすことに集中してしまい、それをこなすことで得られるスキルにまで意識が及ばないのが現実です。だからこそ、我々は生徒達にストレートにこれらのスキルを教え、それを受験勉強というフィールドで実践してもらいます。

「大学に合格する」ために「勉強」した結果、たまたま「スキル」が身につく

のではなく

「スキルを身につける」ために「勉強」した結果、「大学に合格する」

のです。

我々は、母体となった学習塾の設立から数えると40年近く中学生・高校生の指導を行ってきました。最初期の卒業生たちはすでに50代半ばとなり、企業や官公庁から司法、医療など様々な分野で活躍しています。我々の指導を受けた元生徒達に「塾の指導でその後の人生に最も役に立ったことは」と尋ねたとき、彼らのほとんどは受けた授業の内容ではなく、上述したような“大人のスキル”を体感できたこと、と答えてくれます。

数学や英語など教科の知識はもちろん非常に大切です。大学での専門的な学びの土台となりますし、生涯を通じて身につける教養の骨組みともなります。しかし、同様に大切であるはずの「大人のスキル」はほとんど意識されていません。

だからこそ我々はそこにとことん拘ります。

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