高校三年生で模試偏差値50以下の状態でエンライテックに入塾し、東北大学文学部・慶應義塾大学文学部・早稲田大学教育学部・学習院大学文学部など最難関大学に現役合格した米城優希くんの指導の足跡です。エンライテックの面談では実際にどのようなことが話されているのか、指導の様子をイメージしてください。

Chapter 1 初回面談

講師(庄本)と⽶城くんが初回⾯談を実施したのは新学期開始初⽇の4⽉1⽇でした。4⽉といえど始業式は始まっておらず、まだ学校は春休み。ガランとした校舎の学内塾スペースで彼と対⾯しました。

講師は初回⾯談で様々なことを確認します。これまで受けた模試の成績や志望校など当たり前の情報もありますが、⼀番⼤切なのはそれらではありません。

まず確認するのは「受け答えの正確さと論理性」です。

こちらの質問の意図を正確に理解し適切な返答が出来る、理解できない場合は意図をしっかりきけること。そして、⾃⾝の答えの理由がしっかりとあり、それが論理的な整合性を持っていること。これらは⼤学受験を戦っていく上で最も重要な資質です。ここが弱い場合、これらを訓練することも⾯談のコンテンツとなるのですが、彼の場合にはとにかくここがしっかりしていました。⾃⾝の⽬標、その⽬標を考えた理由、家庭環境や学校での⾃分のポジション、学校の先⽣との関係や授業の受け⽅。これらに過不⾜無く答えてくれました。

「第⼀志望はどこ︖」
「千葉⼤の教育学部です」
「なぜ︖」
「理由は3点あります。1点⽬は経済的な問題、2点⽬は教育内容、3点⽬は通学距離です」
「その中で最も重視するポイントは︖」
「2点⽬になると思います。その理由は〜〜〜」

このような会話を繰り返しました。特に何の変哲もない内容で、⼤学受験⽣であればよくあることです。しかし、それを論理的に秩序だってしゃべれる⽣徒は実は多くありません。内容ではなく形式がポイントなのです。

話し終わってすぐに、彼にとって千葉⼤学教育学部は⽬標が低すぎると分かりました。
私は第⼀志望を⼤きく上げるよう提案します。彼の当時の模試偏差値は40台ですので、数字で⾒れば千葉⼤学⾃体とんでもなく⾼い⽬標です。学校の先⽣からももう少し下げたらどうかと⾔われていたようですが、私から⾒れば、最難関⼤で戦える資質を⼗分に持っていると判断できたのです。私が彼にオファーしたのは⽇本の最難関⼤学の ⼀つ、東北⼤学でした。

Chapter2 学習指導

勉強に対する考え⽅

志望校の⽬標設定と並⾏して、⽇々の勉強法にも⼿を⼊れていきます。まずは⽶城くんに彼が実際にやっていた勉強法を説明してもらいます。国⽴⼤学を⽬指していたこともあって勉強科⽬は「英語」「数学ⅠA」「数学ⅡB」「国語(古⽂・漢⽂含む)」「世界史」「倫理政経」「⽣物基礎」「化学基礎」。⼀つ⼀つ使⽤教材とやり⽅を質問していきます。

「まず英語だけど、⽂法の教材は何を使っている︖」
「○○書店の『○○問題集』です」
「なるほど。なぜそれを使っているの︖ それをこなすことでどういう結果を望んでいる︖ 達成度はどう測る︖」
「えっ︖……」

⾯談を始めて軽い挨拶と雑談をして5分経過。私としてはごく当たり前のことを普通に聞いただけです。ただし、これまでの経験から、この質問にすらすら答えられる⽣徒がほとんどいないことも知っています。予想通り、最初のこの質問で彼は絶句してしまいました。

「考えたことなかったです…。学校の先⽣がこれがいいよと勧めてくれたので…」
「なぜ学校の先⽣がこれがいいって判断したのか気にならなかった︖」
「……はい。とてもいい先⽣だったので、信じました」
「ということは、この問題集を君がやる根拠は、学校の先⽣への信頼ということだね。じゃあ、その信頼の根拠は︖」
「授業が分かりやすいし、質問にもすぐ答えてくれるからです」
「なるほど。でも、授業がうまいことと、君が狙う⼤学にぴったりの問題集を紹介できることにはどういう因果関係があるの︖」
「……」

ここで会話は⽌まってしまいました。実際のところ、授業のうまさは、どのレベルを対象にしたものかで必要となる技能が異なります。そして、ある特定の⼤学に向けた参考書の選定の適切さは、授業法の巧拙よりもむしろ、⼊試問題研究とそれまでの学習指導経験に左右されるのです。上の会話、⽂章にすると問い詰めているように⾒えてしまいますが、実際にはただの⼿順確認です。しかし⽶城くんに受験終了後、⼀年間の感想を聞いたとき、この会話で受けた衝撃が凄まじかったと打ち明けてくれました。

<受験終了後>
「本当に衝撃でした。⾃分、あのとき何も真剣に考えてなかったですね。とりあえず形だけ。⼀番重要なテキストなのにそれをやる理由すら考えないって、今考えると凄いヤバい(笑)」

昔を振り返ってこう語ってくれました。また、そのあと冗談めかして

「でも、あの後から先⽣と話すときはいつも凄く⾊々考えて⾏きました。⽢いと突っ込まれるんですもん︕ こう突っ込まれたらこう返す、みたいな。そうやって考え⽅を覚えていった感じです」

事実、その後彼はすべてのことに明確な理由付けをすることを意識するようになりました。私に⾯談で突っ込まれ、考えた理由を話し、その理屈に修正を加え、と繰り返すうちに、「これをやることが論理的に明らかに正しい」と信じられるところに彼は到達しました。あとは⾏動するだけです。受験勉強でやる気がでない場合、その理由の⼀つは、今やっていることが合格につながるか分からない、努⼒が無駄になるのでは、という潜在的な不安があります。この不安を取り除ければ、パフォーマンスは確実に向上します。

学習計画表の作成

学習計画表。
この⾔葉ほど、もっともらしく、そして不信の⽬で⾒られているものはありません。
⽣徒達は⼩学⽣の頃から「計画表を作りなさい」と指導されます。彼らは真⾯⽬にそれを作りますが、計画通りに⾏くのはせいぜい2⽇。そのあとはぐちゃぐちゃですが、指⽰した当の先⽣は特にそれを使った指導をすることもなく、それは放置されます。そしてテストに向かい上⼿くいかず。また数ヶ⽉が経って「計画表を作りなさい」。
いつしか⽣徒達は、先⽣達が喜ぶような建前の計画を適当に書いてお茶を濁すようになります。

⽶城くんの場合もまさにそのパターンでした。私が⼤学⼊試に向けた計画表作成の話をすると、「計画表がうまくいったためしがない。だから計画表は作らずにやってきた」といいます。彼は学校の定期テストではそこそこ良い点が取れていたので、その事実が「計画表を作らなくても⾃分は出来る」という意識の根拠となっていました。しかし、その考えを⼤学⼊試にも適⽤するためには、定期テストと⼤学⼊試問題(センター試験、国⽴本試験)が同等のもの、あるいは量は違えど質的に同じものでなければなりません。

「きみの主張は分かった。ということは、学校の定期テストで効果があったやりかたは⼊試にも効果があるということだよね。ということは、定期テストと⼊試は同じものと考えていることになる」
「いや、それは…」
「でもそういうことだよ。マラソンで速く⾛れたとして、そのための練習法が効果を発揮するだろうと推測できるのは、同じ競⾛系競技の場合でしょう。マラソンで成功した練習法は棒⾼跳びの練習法にそのままスライドできる︖」
「できません」

彼は中学時代に棒⾼跳びで好成績を残し、将来は棒⾼跳びの選⼿として全国レベルを⽬指していたので、あえてそんな例を出しました。そこから定期テストと⼊試の量的違い、質的違いを説明し、計画表の必要性を納得してもらいました。この納得は、⾃分で理屈を追っていったとき、最終的にその結論に達すると⾃分で思える状態を指します。よって、感情的にはモヤモヤするけど納得せざるを得ない、という状況もあり得ます。
それがまさにこの瞬間でした。

「感情的に引っかかっているでしょ︖」
「はい。理屈ではその結論でいいんですけど、でも、今までやっても意味なかったし…」
「計画表の存在⾃体は納得できるなら、効果がなかった理由はどこにあるだろう」
「作ったあと、ですかね」
「でも、計画表作ったときは必ず、“この通りにやろう”って決⼼しているんじゃない︖」
「はい。でも結局できなくてうやむやになります」
「じゃあ、視点を変えて計画表がなぜ必要か、そこから確認していこう」

計画表はなんのために必要なのか。それは、これから⾏う⾏動のTo-Doリストとしての意味合いがありますが、それ以外にもう⼀つ、プロジェクトの全体像を把握するためのざっくりとした進捗表というものもあります。定期テストのような準備期間がせいぜい⻑くて1ヶ⽉の⼩規模なものであれば、進捗表はあまり必要ではありません。To-Doリストがあれば事⾜ります。しかし、最⻑で⾼1から⾼3まで3年間かけて準備する⼤学⼊試では、勉強の全体像を把握するための進捗表が絶対に必要です。そして、この進捗表としての機能を重視する場合、To-Doリストを完璧に消化する必要はないのです。⼩さなタスク
は出来なければ修正をかければいいだけ。⼤事なのは進捗表です。

このような話を重ね、学習計画表の意義をしっかり固め、細かい書き⽅を教えたあと、実際に作成してもらいました。そして、その後の⾯談は常に、計画表を机の上に広げて彼と私の⼆⼈で戦略を練る会議となっていったのです。

「先⽣、世界史の○○問題集、進捗がちょい遅れです。次の模試範囲を考えるとここはもう少し時間割
いた⽅がいいかも」
「なるほど。でもそうすると数学の○○にしわ寄せが⾏くね。模試の⽬標得点ラインは満たせる︖」
「国⽴型ではいけそうですけど、私⽴三科型はヤバいです。それでも⼤丈夫ですか︖」
「夏の模試ならまだ⼤丈夫。それで⾏こう」

こんな会話を何度も交わしました。最初は指⽰する先⽣と従う⽣徒という構図でした。それが、2〜3ヶ⽉経った辺りから、事業計画を話し合う同僚(先輩・後輩)になっていました。正直なところ、私が彼の成⻑を最も実感したのはこのような会話においてです。
私は約20年⾼校3年⽣の指導をしていますが、このような状態まで成⻑した⽣徒はほぼ確実に受かります。

Chapter 3 模試分析

ある予備校の⾼3マーク模試(第⼀回)を彼が受験したあと、模試分析の指導に⼊りました。

「これまで模試を受けた後ってどうしてた︖」
「間違った問題を、解答を⾒てまとめてました…。はい、分かってます。理由は特になかったです(笑)」

ここまで来ると、私が何を⾔うか(なぜ、と理由をきかれる)ことを分かっていた彼は、笑いながら先に答えを⾔いました。それなら話が早いと、私もすぐに模試の分析法を教えるフェイズに⼊ります。

「模試分析で分析するのは、模試の問題ではなく⾃分。⾃分を分析するためのツールとして模試を⾒よう。ポイントは⼆つ。間違えた問題にはなぜ⾃分はこの問題を間違えたのかを徹底的に問い、書き出すこと。それともう⼀つは、類題を探して数をこなすこと。前者を重ねていくと各教科⾃分の勉強の癖や弱点が⾒えてくるよ」
「分かりました。やってみます」

ノートの作り⽅などを細かく指⽰して、まず実際にやってもらいました。出てきたものは予想通りではありますが不⼗分です。

「⼤問3(2)だけど、きみは“ケアレスミス︕”って書いているね。じゃあ、なぜケアレスミスが起こったの︖ きみの注意を散らすような何かがあったっていうこと︖」
「えっと、ここの数字の2を7と読み間違えていて…」
「なぜその読み間違えが起こったの︖ それはこれまでもあったこと︖」
「計算式を⾛り書きしたからかもしれません。時々あります」
「この式と筆算、斜めに書いているし、最後の⽅はスペースがなくなって⽂字が潰れているね」

問題⽤紙の余⽩の使い⽅から始まり、⻑⽂を読む際のクセや不明瞭な選択肢の切り⽅など様々な問題が浮き彫りになります。もちろん根本的な教科の内容に関わる問題点も⾒えてきました。その中でも最⼤の収穫は、英語を読む際に⽂構造(SVOC)を全く意識していないという問題点に気づけたことでした。

⼟台の国語⼒がそこそこあり、それまで⽂法的に平易な⽂章しか⾒てこなかった⽣徒の場合、知っている単語の意味を適当に連関させて⽂章の意味を推測するという読み⽅をすることがあります。英単語⼒が弱ければすぐにぼろが出るのですが、語彙⼒が⾼い場合、その推測は⼤体当たってしまいます。

「⽶城くんは英語が得意教科だよね」
「はい。⽐較的」
「そこそこ点取れてるけど、⻑⽂はこれ、当てずっぽうで意味推測しているでしょ」
「……」

話を聞くとやはり、単語は真⾯⽬に覚えたけど、どういう規則で単語がならんでいるのか、その理由はよく分かっておらず、とりあえず経験則で「こんな並び⽅ならたぶんこんな意味」と推測を重ねていたそうです。⽂型(SVOC)について聞くと「中学校でちょこっとやった気がする」とのこと。この状況は⾮常に不味いので即座に矯正に⼊ります。

「これから英語の⻑⽂読解について⼤⼯事をするよ。次の模試は、凄い時間をかけて勉強しているのに点数がガンと落ちると思うけど、織り込み済みだから⼤丈夫」
「なんで落ちるんですか︖」
「これまできみは⻑⽂を推測で読んできたから試験時間内に問題を解き切れた。でも、構造を理解して読むと慣れないうちは凄く時間がかかる。たぶん試験時間内に終わりきらない。おそらく⼤問1つ分丸々失点することになる」

実際にその後⼀時的に点数が下がりましたが、本⼈はこれまでのなんとなく読みから脱出できたことで、英語が本当の意味で分かるようになってきているという⼿応えを強く感じていたようです。

「今だから時効なんで⾔います︕ “この指導についていけば絶対受かる”って⼼の底から思ったの実はは(英語の)⽂型分析の件からです(笑)」

受験終了後に話を聞いたとき、彼はこの英語の問題発⾒が教科における運命の分かれ道だったと⾔っていました。常に理由を考えて論理的に動くというのが勉強姿勢の⼤発⾒だったように、これは勉強内容の⼤発⾒だったのです。

Chapter 4 勝者のメンタル

4⽉から指導を始め、夏までに彼の成績はぐいぐい伸びました。
混沌としていた課題を整理し、何となくで進めていた勉強姿勢を改善し、と、何かドラスティックな改⾰をするよりも、いわば交通整理をした結果です。模試の成績は総合で偏差値60台に乗り、最難関⼤学を受験する最低限の資格を得られるまでになったのです。

しかし、9⽉から10⽉にかけて、これまで右肩上がりで続いてきた成績推移にストップがかかり、⼀時は⼤幅な落ち込みを⾒せます。

「この間の模試(第3回マーク模試)の結果返ってきました。でも、すごく⾒せたくないです」
「やるべきことも間違ってないし、実際にやってもいる。でも上⼿くいかないということは、結構精神的にキツい︖」
「はい。ここまで不安になると思っていませんでした。受かる未来が全く⾒えません」

彼が⽬に涙をためている姿を⾒たのは、このときが最初で最後でした。

とりあえずいつもの模試分析を始めました。
結果、ほとんどのミスが問題の深読み重要な⼿がかりの⾒落としによるものだと判明します。とても単純な、これしか答えがないと思えるような問題も「そんな簡単なはずはない、何か引っかけがあるはず」と考え込んでリズムを崩し時間切れになっています。

マーク模試はセンター試験(現共通テスト)の模擬試験的な意味合いがあるものですから、突出した難問はまず出ません。しかし、彼は模試を常に仰ぎ⾒るものとして捉えていました。
まだ学⼒が低かった頃であればそれでよいのです。模試という壁に体当たりし、試験時間内に終わらなくても解けない問題が多くても当然です。200点満点中50点くらいしか取れなかったのが100点取れるようになれば⼤喜びでしょう。ここで重要になるのは何点取れたかです。
しかし、学⼒を⾼め、本気で国⽴最難関⼤を狙うとなると、難度の低い模試は点を落としてはいけないものとなります。つまり何点落としてしまったかが重要になるのです。

このとき⽶城くんの精神の中で起こっていたのは、まだ学⼒が低かった頃の意識と現状の⽴ち位置のズレでした。

昔の彼であれば、模試は仰ぎ⾒るもの、胸を借りる対象、つまり⾃分より格上です。格上ですから当然難しいと思いこみ、予想外に簡単であればそんなはずないと深読みしてしまいます。
翻ってこの状況で求められるのは、模試を⾃分より格下と⾒て「⾃分の学⼒レベルで解けない問題が出るはずがない。何か重要な記述を⾒落としているな」と考えられるメンタルです。
私はこれを勝者のメンタルと読んでいます。

このメンタルの存在に気づいたのは、私がエンライテックの⺟体となった学習塾クセジュで⾼校⽣を指導していたときでした。学習塾クセジュは⾼校⼊試・⼤学⼊試の名⾨として地域ではかなりの知名度を誇ります。⾼校部の⽣徒達は7割ほどが地域トップの県⽴⾼校に通い、残りの3割は開成、筑波⼤付属、慶應⼥⼦、渋⾕幕張、海城、市川など、⾸都圏最難関の私⽴⾼校に通っています。私は彼らを⻑年指導してきた結果、トップ⾼校に通う⽣徒達が根拠のない⾃信を持っていることに気づきました。
講師の⽬から⾒て勉強が全然不⼗分だと感じる⽣徒も、なぜか模試を⾒下しています。そのロジックは「⾼校⼊試で最難関の⾼校に⼊れたし常にそのレベルの⽣徒の中で学んでいるのだから、こんな模試解けるに決まっている」というもの。正直なところ全く論理的ではありません。しかし、その思い込みは本番でプラスに作⽤します。出来ない問題が出てきても慌てず「⾃分が分からないはずないから何か⾒落としているだけ」と冷静に対処できるのです。

この勝者のメンタルが壁になっているとすれば問題は深刻です。
というのも、⽶城くんが実際に通っている⾼校は⼤学⼊試指導に⼒を⼊れ始めてから年数が浅く、国⽴最難関⼤は当然として上位中堅⼤にも合格者が出たことがありませんでした。私⽴についても早稲⽥や慶応は10年に⼀⼈合格者がでるかどうか。
つまり、彼には勝者のメンタルの根拠になるものがありません。

「頭では⾃分なら解けるはずって分かっているんですけど…」
「なるほど。それはよく分かる。じゃあこう考えてみよう。君は先⽣の指導を受けているよね。先⽣は10年以上、この地域のトップの塾で最上位クラスを指導してきたってことは知っているでしょ。ということは、その塾の最上位クラスにきみが在籍しているのと同じことだよ。クラスの仲間には県⽴最上位校の⽣徒達や都内トップ校の⽣徒達がいて、彼らと⽇々塾内で競ってるってイメージして。ちなみに、きみの今の学⼒、その塾の最上位クラスに当てはめると真ん中くらい」
「本当ですか︖」
「実際のデータを⾒せようか」

そう⾔って、過去に指導した⽣徒達の成績推移(名前など個⼈情報はすべて隠したもの)を⾒せました。

「えっ、この成績で○○⼤受かるんですか︖」
「受かるよ。実際に受かってるし」
「ああ、でもやっぱり△△⼤は難しいんですね。でも、もう少し⾏けば⾃分も可能性ありそう」
「だから前からそう⾔ってるでしょ︕」

資料を⼆⼈で眺めながらそんな話をしているうちに彼の⽬に⼒が戻ってきます。その⽇の⾯談はそのまま軽⼝をたたきながら終わりました。
実際のところ、彼に勝者のメンタルはありません。これまで難関⼤に合格者を出したことのない⾼校の⽣徒として戦っていかなければなりません。

その後私は彼に「勝者のメンタル」と⼝癖のように⾔い続けました。実際の⼊試本番の前にも⾔いました。彼もそれに完全に慣れ、半ば挨拶の台詞のようになっていきました。

Chapter 5 学問を楽しむ

勝者のメンタルに引き続き、この章も彼の伸び悩み期のものです。

彼は国⽴⽂系志望ですので社会では主⼒教科として世界史Bを選択しています。知識を覚えることが最優先の⼀学期、世界史の成績は⾯⽩いように伸びました。しかし、⼆学期に⼊り、国⽴も含めた過去問演習を⾏うようになるとその伸びが⽌まります。

「先⽣、世界史がかなりしんどいです。あんな細かいどうでもいい知識まで覚えないと受からないんですか︖」
「なるほど。きみは細かいどうでもいいところと思っているんだね。じゃあ考えてみよう。きみが受ける⼤学は⽇本の⽂字通り最⾼峰のところばっかりだよね。トップ⼤学は⼊試問題も⽇本を代表する先⽣⽅が本気で作ってる。じゃあ、その細かいどうでもいいところを問われているとしたら、そこはどうでもよくない、つまりとても重要な場所という可能性はない︖」
「でも、資料集の隅にちょっと出てくるだけの⼈名ですよ」
「じゃあ、ちょっと⾒てみよう」

重箱の隅をつつく系の教科として有名な世界史や⽇本史ですが、上位⼤学の⼊試問題はとてもよく練られているものが多く、⼀⾒どうでもいい知識に⾒えるものが、実は歴史の流れを変えた⼤事件の引き⾦になる(けれども⼤学受験においては知名度が低い)⼈物の名前だったりすることがよくあります。問題は、教科書や資料集の⽚隅に⼩さく載っているそのような出来事や⼈物の名前をどうやって⾒つけるかです。

実はこれ、「なぜ」を追いながら歴史の流れを考えていくと⾒つかることが多いのです。ヨーロッパという地域がなぜ⽂明圏として現在のような形で形成されたのかを調べていくと、カタカナの⼭に埋もれて⾒過ごしてしまいそうな○○○○条約がに⾮常に重要な役割を果たしていることに気づく、というのはよくあることです。

つまり、歴史を単語の暗記として捉えている限り、これらの埋もれた知識にたどり着くことはありません。この出来事はなんで起こったんだろう。その結果どうなったんだろう、とベストセラー⼩説を読むような気持ちで楽しんでこそ⾃然に⾒つかるものなのです。

楽しいこと、興味深いことを探して教科書を読み進めていると、⾊々なことに気づけます。たとえば、古代帝国の⽀配領域の限界と移動⼿段の関係などは、ひたすら王の名前を暗記をするだけでは絶対に気づけないポイントです。そして実際に国⽴⼤学の⼊試問題ではそういうポイントを理解しているかどうかを測る記述問題が出題されます。

勉強はつまらないものであるという考え⽅は⾮常に強固です。⽶城くんも当初そのように考えている節がありました。だからこそ、私は⾯談や質問対応の際、頻繁に「どこか楽しい・興味深いところを発⾒したか︖」と尋ねました。彼も最初のうちは「特にないです」と答えるしかなかったのが、毎回聞かれるものだから、いつしかそれを探すようになっていきます。社会だけではなく、英語も国語も理科も数学も、それぞれに楽しいところが⼭のようにあります。私はその切っ掛けを⽰し続けました。

勉強のやり⽅を確⽴し、模試を分析し、過去問をやり込んだ末に、11⽉以降彼は勉強を楽しむようになりました。⾯談はいつしか「数学の○○の問題は解法がとても感動的だった」「現代⽂のあの評論、読んでてすごい論理展開なので興奮しました」と彼が私に語る場になっていきます。そして最終的に出た⾔葉は「最近合否が気にならない。勉強していることが楽しい」というものです。ああ、彼は受かる。私はその時確信しました。

Chapter 6 受験期

センター試験(当時)を⽪切りに⼤学⼊試が始まります。国⽴⼤志望の⽣徒にとってセンター試験でかかるプレッシャーは尋常なものではありません。
彼にはあらかじめそのことを伝えた上で、成功パターン、失敗パターン、どちらともいえないパターンの3通り、センター後の出願計画を詰めてありました。最終的に5科合計で8割程度でまとめた彼は、予定通り第⼀志望の東北⼤学を受験することになります。

センターが終わると私⽴⼊試が始まります。抑えておきたかった⽇東駒専レベル、GMARCHレベルと受験を続け、順当に合格を勝ち取って早慶に臨みます。

試験が終わる度に必ず⾯談をして、その⽇起こった様々な問題に⼀旦けりをつけてから、また次の試験に向かうようにしていました。そんな中で彼が⾔った⼀⾔が⾯⽩かったのでご紹介します。

「先⽣、GMARCHと早慶で受験者層が微妙に違うって⾔ってたじゃないですか。それ、今⽇の試験で感じました。GMARCHだとみんな休み時間に市販の参考書を読んでたんですけど、早慶になると教科書読んでるって本当なんですね︕」

4⽉か5⽉頃、「本当にトップを⽬指す⽣徒は教科書を重視する」と教えました。その⼀例として、受験会場に⾏ったら周りを観察してごらん、と伝えていたのを彼は覚えていたのでした。

最終的に⽶城くんは、国⽴第⼀志望の東北⼤学、私⽴第⼀志望の慶應義塾⼤学、第⼆志望の早稲⽥⼤学を始めいくつかの⼤学に合格しました。その後通学の利便性や⾃⾝の学びたいこと、キャリアプランを考え、私⽴第⼀志望の慶應義塾⼤学に進学しました。

講師より皆さんへ

ここまでエンライテックの指導と⽶城君の事例をお読みいただきありがとうございます。

この資料に出てくる彼は理想的な⾼学⼒の⽣徒に⾒えます。できる⽣徒が順当に受かった。そう思われるかも知れません。しかし実際のところは全く違います。彼が在籍していた⾼校についてはその名前を検索していただければどのようなレベルの学校か分かるでしょう。さらに彼は元々スポーツ推薦で⾼校に⼊学したこともあり、そもそも「⼤学を⼀般⼊試で受ける」こと⾃体最初は考えてもいませんでした。
また、本⽂中にも触れたとおり、⾼3開始当初の模試成績は総合で40台です。

そんな彼が合格を勝ち取れた理由は⼆つあります。⼀つはタフさ。⼆つ⽬は柔軟性。

エンライテックの指導では、講師が声を荒げて「怒鳴る」「キレる」ことはまずありません。しかし、指⽰は明確に断固として出しますし、それが実⾏されないときは徹底的に原因を追及します。叱る⽅便ではなく原因を究明して再発を防ぐためです。そのため、⼀定の緊張感とプレッシャーを⽣徒は感じることになります。⽶城君も他の⽣徒達も「⾯談すると真剣勝負感がすごい」とよく⾔います。

次に柔軟性。
⾃分が慣れ親しんだ考え⽅や⽅法があっても、それ以外によいものがあると納得出来たら⾃分の拘りを捨てて動ける柔らかさです。私は指導をする際常に「感情を排して理屈を考えなさい」と伝えます。理屈ではBの⽅がよいと分かっているのにAに固執するとすればそれは感情です。感情⾃体は勉強を進めていく上で⾮常に重要なファクターですが、勉強のやり⽅の部分はとことん合理的に定めるべきだと考えています。その点彼は⽐較的柔軟に考えを変えてくれました。

タフさと柔軟性の⼆点を兼ね備えていなければ受験で成功しない、というわけではありません。エンライテックではこれまで合わせて500⼈以上(⺟体塾を含めれば1000以上)の受験⽣を指導してきましたが、⽣徒達は千差万別の強みと弱みを持っています。⽣徒達が持つオリジナルな強みを⽣かしながら、エンライテックの指導を上⼿く活⽤して受験を勝ち抜いて欲しいと思います。

私(庄本)は約20年にわたり⼤学受験指導を⾏ってきました。講師としては世界史、現代⽂を専⾨としますが、指導者としてはエンライテックで⾏っているような勉強法指導や進捗管理、志望校作成などを⻑くやっています。

エンライテックのような包括的な受験指導は、⼤学受験業界においては実は亜流です。メインストリームは皆さんご存じのスター予備校講師が⾏う「教科の授業」です。これらの講師が⾏う授業は同業の私が⾒ても感動する、もはや芸術に近いレベルのもので、⽣徒達はそのような授業をたくさんとって、ノートを⼀⽣懸命とって、出された宿題をやります。

しかし、受験の合否を本当に左右するのは「⾃学⾃習のクオリティ」なのです。
⾃⾝で進める勉強がしっかりとあり、その上で明確な必要性を⾃覚して授業を受けなければ意味がありません。例に出した⽶城くんの場合は学校の正規授業以外受けていませんが、⾃分の⾜りないところを補うために映像授業や予備校の授業を受講することは有⽤でしょう。

最後に

  • 真剣に勉強をしたい⽣徒の皆さん
  • ⼿応えをもって志望校に合格したい⽣徒の皆さん
  • 適当な⾏動、形だけ勉強から決別したい⽣徒の皆さん

皆さんの体験受講をお待ちしています。

  • ⼤学受験は当然として、その後社会⼈として活躍できる能⼒の⼟台をお⼦さんにプレゼントしたいとお考えの保護者の皆様

是⾮お問い合わせください。

受験の悩み、現在通われている学校や塾の悩み、お⼦さんの⼼理状態の悩みなど、ご相談いただければ幸いです。

勉強にまつわるお悩みなら、どんなことでもぜひお気軽にご相談ください。
かんたん1分でお申し込みいただけます。

お電話:04-7197-5461
平日:13:00~17:00